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(1)市民運動に潜む「内在化された検閲」の存在

友人が「奥能登芸術祭はクソ」という話を自身のブログに書きました。奥能登芸術祭が何かについてはリンク先を読んで察して下さい。彼は芸術祭オフ会に行く前は主催者を煽りにいくとイキっていましたが、いざ参加すると雰囲気に飲まれてしまい戦果なく帰沢したようです。

奥能登芸術祭がクソな理由として、彼は「内在化された検閲」の存在を挙げています。内在化された検閲とは、同調圧力、その場の雰囲気などによって自身の自由な主張が出来なくなる現象を指しています。地域アートは地域活性化を目的に税金が投じられているのだから、能登に対してネガティブな部分を浮き彫りにした作品を作ってはいけない雰囲気になっており、実際作品もそのようなものだらけになっている、これは建前上でしか言論表現の自由を守られていない、検閲と何が変わらないのかと彼は解釈しています。

僕自身もこの「内在化された検閲」の存在に彼と同様、かなりの気持ち悪さを感じます。この気持ち悪さはFacebookに流れてくる所謂「意識高い系イベント」の紹介文やそれに参加して「有意義だった、楽しかった」などという感想文を読んだ時の感覚に近いかもしれません。最近では甲子園を目指して狂ったように部活に励む中高生の新聞記事や地方ニュースインタビューがそれに相当するでしょうか?“世間の同調圧力によって作られた教科書的な目標”へ努力することを無条件に美談とすることは、もちろん感動的であり本人の努力や達成感を否定したくはないのですが、違和感を感じざるを得ません。

さて、自身の体験として「内在化された検閲」の存在は市民団体主催のイベントで多く感じて来ました。市民団体とは所謂反体制派プロ市民の集まりであります。彼らは活動の目標を「反安倍政権、反戦反原発」とし、様々なイベントを主催しています。このブログを読んでいる方の多くはそのようなイベントに誰が参加するのかを想像出来ないと思いますが、基本的に同じメンバーで内輪でワイワイやってると思ってもらえれば十分です。彼ら自身は「自由な意思で一般人が集まって声を挙げている」と主張しますが、構成メンバーの思想が殆ど似通っている時点で「民主党はクソ、共産党は不祥事を反省しろ、自民党は経済政策だけは多少評価されるべき」などと言った主張は通らないでしょう(特定政治家の後援会に深く関わっている人もメンバーに結構いるので尚更)。

数年前に話題となった学生団体SEALDsを思い出してもらえれば市民団体イベントの気持ち悪さを理解して頂けるでしょうか?SEALDsとは安保法制に反対するために立ち上がった学生団体であり、安保法採決直前には国会で集会を開き、政府に対して抗議の姿勢を示しました。SEALDsへの批判は(的外れな批判も含めて)多く挙がっていますが、僕の意見としては「学生、市民」という属性に対して必ず「安保法反対」いう要素が付随しているような主張をしている点が気持ち悪くて致し方ありません。また、「政府に対して抗議をする方法」=「デモ」のように主張している点も違和感しかありません。僕自身の思想は反体制的であり、安保法には憲法上の観点から勿論反対ですが、アジア周辺の治安維持の観点から自衛力を強化すること自体には消極的に賛成しています。SEALDsはそのような意見の多様性を無視して画一的に市民の声を取り扱おうとしている点に「内在化された検閲」の存在を感じます。参考として、今一生さんのブログには、反体制派の立場からSEALDsの活動に対する批判が主張されており、僕もこの記事に概ね同意します。

「内在化された検閲」の恐ろしい点は「言論の自由が保たれている」と勘違いしてしまう点にあります。それどころか彼らは、自分達の団体こそ人権を重んじた正義の立場であるとすら主張します。例えば、最近話題になった#MeToo運動が菅野完や鳥越俊太郎にも適用されることのない状況は、多くの反左翼の人々が左翼を叩く為に利用されてしまっています。「内在化された検閲」の存在が左翼に対する支持を広げられない原因となってしまってます。

「内在化された検閲」のないイベントを開催することは可能なのでしょうか?もし団体が営利目的であれば、革新的な意見を主張した人間を評価するシステムを導入することによって解決されるかもしれません。しかし、非営利団体ではどのようにしてそれが実現されるでしょうか?そもそも団体を立ち上げた時点で立ち上げ中心となったメンバーの意向がその団体の運営システムに色濃く反映されてしまうことは明らかなので、簡単にはいかないことが想像出来ます。如何にして団体内の自由を守るシステムを作るか、答えを探すのには時間がかかりそうです。

最後に、参考として「カルト脱出記:エホバの証人元信者が語る25年間の記録 佐藤典雅著 (河出文庫)」という本を紹介させて頂きます。幼い頃からエホバで宗教活動していた信者がどのような活動を通じて思想が作られていったか?どのようにして脱会まで行き着いたか?健全な組織のあり方を考えさせられる一冊です。もしあなたが「頭がお花畑の市民団体のイベントに参加して主催者を煽りにいってやろう」と思っていたとしても友人と同じく雰囲気に飲まれて何も出来ずに帰ってくる事になるでしょう、その状況が想像出来ない場合にはこの本を読む事で少しは参考になるかもしれません。

2018/08/05