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(41)そもそも専門用語はわかりやすくする為のもの

理解するというのはどういう状態だろうか、ということを最近ぼんやりと思ってます。指導教官が数学との共同研究という予算を当ててしまったが為に毎週一回数学の先生から位相幾何学のレクチャーを受けているのですが、わかったようなわかってないような、どっちとも付かない感覚でいつもモヤモヤしています。数学科の院生レベルが読む本の内容を噛み砕いてレクチャーされても数学科の人が四年間で身に着ける基礎知識がない状態では簡単に理解出来る筈がないです。

そういえば、難しい話が理解できないのは「言葉が理解できないからだ」ということがよく言われます。研究のアウトリーチでは、サイエンスコミュニケーションでは可能な限り専門用語を使わないようにということが定跡のように語られています。自分もPCのスペックを説明するのに「クロック数は作業する人の速さで、コア数は作業する人数で、メモリは作業場の大きさで、ストレージは倉庫の大きさ」みたいな感じの例え話をしたらパソコンに詳しくない相手もなんとなく納得してくれた感触がありました、難しいことは簡単な例え話で理解したかのような気持ちになれるというのはものすごく賛同します。

しかし、学問における専門用語というのは「学問の体系化の上で重要な概念をラベリングしたもの」であるはずです。様々な概念同士の関連を抽象化して見えやすくするためにわざわざそれにふさわしい名前を研究者達がつけている訳なので、それを毛嫌いするというのは体系化された高度な構造を見えづらくする恐れがあります。熱力学のエントロピーという用語が情報理論、統計で流入されている例は、扱う対象は別々の学問であるが同様な論理構造が入っているというメッセージを受け取ることができます。わざわざ名前がついてるからには何かの議論の際に有用な指標となるのだろうという暗黙のメッセージを感じ取れた時、本当にその学問を理解したと言えるのかもしれません。ただし、topological spaceとphase spaceに同じ位相空間と日本語訳を充てたのは意味不明です。

2019/07/25