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(44)個人の最適行動を論じる意味はない

今に始まったことではありませんが、後進国日本の科学技術政策が批判され続けています。政策が愚策であるというだけで済めば良いのですが、肝心のトップが批判の声を聞くといった姿勢を見せない為、民主主義の根幹が揺るがされている非常事態と言っても過言ではありません。大学入試共通テストの改革が批判される中、柴山文科大臣が「サイレントマジョリティは賛成」などといった無敵理論を生み出し大炎上したことは記憶に新しいです。某アイドルの曲名に乗せて面白いことを言ったつもりなのでしょうか?大物YouTuberのほならね理論を超える無敵論法として後世に語り継がれる予感すらします。

このような話が盛り上がる度に、「文句を言う暇があれば自分で道を切り開けばいい、海外に行けばいい」などと言った戯言をいう人が出現するのですが、無意味な主張でしかないと感じます。そもそも個人の行動を最適化するというのは個人の幸福追求のためのものでしかないので、他人から指図される筋合いのものではありません。海外で研究したい人は海外で研究する、日本の科学技術を建て直したいと思えば日本で研究する、行動は個人の意思が尊重されるというだけの話です。個人の行動に原因を帰着させて問題を矮小化させたいという愚かな発想から生まれる発言なのでしょう。

社会を形成する一員である以上、多数の幸福を追求することを目指すべきではないでしょうか?そのためには、個人の行動に対してインセンティブが働くような政策を実行し、国益のためになるような行動が最適解となるような環境の設定方法に思考を割く方がよほど合理的ではないでしょうか?個人の最適行動を論じて個人の行動を制御しようとするのは人間それぞれにある背景や生活事情、意思といった複雑な要素を全部無視した非合理な思想です。もちろん発言の自由は保障されなければいけないのでそのような主張を封じる必要は全くありませんが、こんな発言がまともに取り合ってもらえないような真の合理性を追求した社会を目指す為にも柴山大臣には多少賢くなってもらいたいところです。

2019/08/26