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(48)差別心をわざわざ表明する動機が本気でわからない

「中国人は採用しない」とツイッターで発言し、大炎上した東大准教授、大澤昇平の話題がTwitterで結構流れてくる。大澤は真面目に批判するにも値しないような馬鹿げた発言&行動ばかりしているようなので、まともに相手をする必要はないだろう。ただ、このように差別発言で炎上する人を見るたび疑問に思うことがある、何故わざわざそれを表明したくなるのだろうか。本当によくわからない。

普通に考えて、多種多様な人間が見ているTwitterで過激な発言をすればあらゆる方向から批判が飛んでくるのは(大学教員にもなるような方であれば)すぐに推測出来るだろう。差別心は人間の本能に備わっているものだから、その鬱憤を晴らしたいという欲求が生まれるのは理解出来るが、個人的に友人などに対してだけ話せば良いだけなのではないか(大澤に友達がいない可能性は省く)。わざわざ批判を受けてまで強く発言したのであれば強い根拠や信念があるのかと思いきや、すぐに意味不明な謝罪をしてしまうあたり、そのようなモノがあるわけでもないようだ。マイノリティが日本の財政を圧迫していると信じきってる杉田水脈や古市憲寿のクソみたいな言動の方がまだ理解出来るかもしれない(できない)。

「AIのせい」と言い訳したように可能な限り大澤の行動を擁護してみると、発達しすぎた意思伝達手法の多様化が、人々に社会との距離感の認識を狂わせてるのだろうか?内輪話と一応の建前の区別がつかず、炎上してから社会と自分の繋がりを認識し始めてしまうのは、技術の発達に一般的な倫理観がまだ追いついていないことの象徴なのか。とりあえず自分は、あのような権力的立場に付いた人間の馬鹿げた思想が一般社会に対して公になるという現象を、我々一般市民に批判の自由がある限り、民主主義社会の実現に与していると捉えることにしている。大澤を含め、差別主義者の行動の原動力は良くわからないが、公権力的立場に就いた人間には積極的に自分の思想を公開して頂く方が健全な社会には必要なのかもしれない。

2019/12/06